近道
上達に近道など無い。
行動に移す前に、頭の中で理解をすることはもちろん大事。
しかしながら、「それ以上の近道などどこにもない。」ということを解っていながらも探してしまう。
ありがちな話である。
近道とは考え方のこと。
努力なしにその道を歩くことはできない。
上達に近道など無い。
行動に移す前に、頭の中で理解をすることはもちろん大事。
しかしながら、「それ以上の近道などどこにもない。」ということを解っていながらも探してしまう。
ありがちな話である。
近道とは考え方のこと。
努力なしにその道を歩くことはできない。
対話の中で先行きが見えない・・・。
どちらが正しいかという議論に発展していく。
話し合いの目的を見失い、泥沼化・・・。
ありがちな話。
どちらもが反省すべき点を認め、話の着地点へ向けて双方が努力する。
反省をすべき点が無い、などということはあり得ない。
考えは間違っていないが、伝え方が完璧でなかったのかもしれない・・・。
そう考えれば、前向きな対話に変わるはず。
議論の落とし所など、幾つもあるはずがない。
「イノベーションとは技術革新ではない。」
そんな話を聞いた。
「イノベーションとは創意工夫」。
それがその答えであった。
確かに技術革新とは創意工夫の繰り返し。
そう理解しても間違いではない。
進歩とは正に、創意工夫の連続。
それはモノづくりだけのことではない。
競技と呼ばれるもの全てにも、同様のことが言える。
考えて、考えて、実行して。
考えて、考えて、試してみて。
全ては向上心から、創意工夫は生まれる。
指示者と実働者。
こう訳することがBESTかどうかは分からない。
発案者と実行者。
この方が理解しやすいかもしれない。
良いモノを創り出す仕組みを考え続ける。
そういったサイドの者も必要である。
そして応用力を駆使し、その発案に対応する者も必要である。
この両者をまかなえる者こそが、真の創造者なのかもしれない。
センスは持ち合わせたものではない。
これは持論。
量をこなすことからセンスは生まれるもの。
そう考えている。
確かに取り組んだ時から、うまく立ち回れることもある。
しかし、そんなことはそう続かない。
上手に見える背景には、誰もが納得する努力が必ず隠れている。
「ワンチャンスを、ものにできるのがプロ」
この言葉を聞いて「なるほど・・・」と納得した。
チャンスを逃さない集中力。
スポーツに置きかければ、余計に納得しやすい。
日々の生活の中でも、労働時間の全てに集中力を切らさないなんて、困難極まりない。
しかし、その時間帯の中において集中すべき瞬間はある。
その時に気持ちを集めて、感情を抑え、能力を発揮する。
お金を稼ぐ術がある者は、誰もがプロである。
その時を使い分けられないのであれば、アマチュアということだろう。
母校の高校野球のコーチを務めて1カ月が過ぎ、現在は1年生大会の真っただ中。
1年生大会であるが、バッティングの指導の結果が問われる(汗)
で、結果は・・・。
1回戦 対 富山工業 = 2ケタ安打で快勝。
2回戦 対 八尾高校 = 2ケタ安打で、またもや快勝。
3回戦 対 不二越工業 = これまた2ケタ安打で、またまた快勝。
2年生に比べて、1年若い分だけ癖が治りやすく進歩は早い。
指導がどうのこうのよりも、指導される方が素直なだけに覚えが早い。
これは2年生も同じこと(笑)
一番に質問が多く、いつも最後までバットを振っている生徒がいる。
体は大きくなく、線も細い。
そんな彼が、練習中に鋭い打球を飛ばしていた。
3回戦、不二越工業戦に代打で登場。
初球を見事にライトオーバーの3塁打!
スタンドで見守っていたが、打った瞬間、思わず「行けっ!」と声が出た。
試合終了後、「ナイスバッティング!」と坊主頭を撫でた。
すると彼は、「ありがとうございます。一生懸命に練習して良かったです。」と返答した。
感激で目頭が熱くなった。
独り暮らしで愛情を注ぐ相手のいない中、
「彼らを救っているのが僕ではなく、僕を救ってくれているのが彼らだ。」
ということを改めて知った。
先日はある講演会に出向いた。
その中での話。
問いかけ:「フェラーリのテスタロッサの最も格好の悪いショットとは?」
答え:「渋滞に巻き込まれていること」
そのデザインの美しさは走るためのもの。
そのコンセプトから外れているのが、渋滞に巻き込まれていることだという。
これは「ソフトなくして、ハードなし」という例え話。
走れる環境があるから、車を造る。
今の日本社会はここに矛盾点があるという。
ソフトとハードのバランス。
単に経済の話だけで留めておくには、非常にもったいないことでもある。
「生簀の中の鯰」(いけすのなかのなまず)
生簀の中にいる鯉を、粋の良い鯉に変える時には鯰を放すらしい。
泳いでいた鯉が慌てて逃げ回り、結果的に粋が良くなるというのだ。
企業で行われている人事などは、この目的もあるだろう。
スポーツ界も同じことである。
プロ野球界ではドラフト会議の真っ只中。
新たにスーパースター的な選手が仲間入りすると、そのチーム内の雰囲気が変わる。
組織の活性化に一役・・・ということなのだろう。
勿論、良し悪しの影響は考慮するべきだが。
面白い例え(笑)
議論が少ない国=日本
こういう認識があるらしい。
議論とは「悪のイメージ」とふまえている。
なるほど・・・と納得のできることが多い。
暗黙の了解。
このことほど、あやふやなことはない。
言わなくても解っているだろう。
わざわざ話すべきことではない。
こういったことで議論を避けることが、日常で繰り返されている。
議論に転じたほうが悪者となってしまう。
確かに良い所もあれば、悪いところもあるかもしれない。
しかし、悪と決め付けることの方がマイナス的要素が大きい。
お店を出店したのをきっかけに、経理の勉強を始めた。
専門用語が多くて大変である。
高校野球のコーチに出向く時間もある。
通常の仕事+高校野球のコーチ=毎日の日課
この中に組み込もうとするとさすがに辛い・・・。
今年になって生活が一変した。
こう考えると、人の一生で覚えられることはどれだけあるのか、と疑問を持つ。
たくさんのことを覚えても、活用しなければ何にもならない。
「マトリックス」という映画があった。
あの中では、プログラムを短時間で習得できる機械が存在していた。
あれが欲しい・・・ああ成りたい・・・。
海外ドラマにはまっている(笑)
観ているのは、HEROES ヒーローズ。
母校の高校球児たちは、仲良くインフルエンザに感染。
予定では、月・火の二日間は練習がOFF。
久しぶりに自宅でのんびりと過ごした。
観ているのは、シーズン3。
最初の件(くだり)が意味深いので気に入っている。
内容も考えさせられることが多く、頭の中が混乱するほど。
観ての感想は、
「常に善と悪が存在し対立しあっている。
しかし、人類でいるためには寛容さが必要。」
1~23までを二日間で観る予定(汗)
久しぶりに自分でプレーした。
今期最後の試合でのこと。
バットスイングの形が崩れていたが、毎日、高校球児と戦っているせいか力が入らない。
無駄な力みが無い分、動きがスムーズ(笑)
やはり、誰かに教えることは自分が学ぶことに間違いはない。
ここでまた、指導者の道に選んでいただいたことに、そして教え子達に感謝。
普段から言い続けている事を、自分で実践しただけだが(汗)
心地良い天気の下で、今期、最後の試合。
野球ができる環境と、消えることのない向上心をもたらしてくれることに感謝。
朝から高校野球(笑)
今日から1年生大会が始まった。
普段から教えていることが、本人のモノとなっているかを見極める良い機会。
結果、できた者とそうでない者に別れた。
当然のことだが。
少しづつではあるが、確実に上達している。
2年生と違い、学ぶ速度は遅いが。
上手くいったと喜ぶ高校球児の顔を見るのが嬉しい。
常に危機感を与えながら、信頼関係を築くことは非常に難しい。
困難であれば、乗り越えようと思うのが自分の性分。
まだ、1ヶ月が過ぎた時点。
更なる戦いは続く・・・(笑)
優先順位を確実に守ると、複数の事をできるようになる。
優先順位の中で、また同じ作業をする。
その中でまた優先順位を付けるということ。
分からなくなると紙に記してみればよい。
ノートをのページ毎に分けるとかして。
昔、こんな事を聞いた。
毎日、新聞を片隅まで読んで情報を詰め込む必要は無い。
勿論、それが仕事の中で重要であれば話は別だが。
新聞を持っていればよいということ。
これって、今の時代であればパソコンなのかもしれない。
携帯することのできる情報源があれば、上手く活用すれば自分の力と変わる。
きっとそんなとこだろう。
そう考えていればたくさんの経験がきっとできる。
自分に更なる負荷をかけると、より規則正しい生活となる。
勿論、時間で区切りをつけた時に限るが。
ということは、「時間割り」をしっかりと立てることができたならば・・・ということとなる。
周囲を見てみると、時間に厳しい人ほど色んな事をしているのに気付く。
予定を立て、時間通りに務めていくといつの間にか「こなし」になりがち。
「時間を過ごす」という風に変わってしまう。
志し半ばで・・・の三日坊主現象。
そこには「初志貫徹」ともいえる、一度立てた「志」を忘れないことが、何よりの予防策となるだろう。
今よりも自分を向上させたい。
そうするには、負荷をかけた規則正しい生活の中で、知らず知らずに余裕が生まれ、そこでまた考える。
その繰り返しが能力を向上させる。
金沢では恩師と浩平と篤の4人で飲んだ。
「ああでもない、こうでもない。」の話。
恩師は54歳、浩平と自分は42歳、篤は25歳。
29歳の年の差の中で、その中間にいる世代は重要である。
何故か?
親と本人の歳の差の中にいる者の言葉は、良く心に刺さるからである。
ところが自分は日々の疲れが出て、元気不足・・・。
その自分をフォローするかのように、浩平が良く口を開いた。
バランスを考慮してくれた行為。
そんな彼に感謝をしながら、自分たちが与えることのできる良い影響を与えることが、知り合えた使命であろう。
惜しむこともなく、経験を話し、愛情を注ぐ。
その行動が絆を生む。
昨日の志力低下の話を受けて、母校へ行って野球の指導。
なるほど、無垢な精神の中で必死に歯を食いしばっている高校球児がいる。
必死さ故に心が開く。
上手くなりたいという欲望から、言われることは何でも取り入れようという姿勢が見える。
仕事でイラつくことがあり、その気持ちのまま、グランドに入った自分の感情が一変した。
それは彼らの真剣さ。
与えられた環境に感謝をしながら、日々の充実感を噛締めた。
志力低下=しりょくていか。
俗に言う、視力低下にかけた言い方。
以前に「目力=めじから」というブログを書いた。
それと同様の意味。
久しぶりに、東京から恩師が富山に来られた。
来県の理由は先日にOPENした「mi padore」を拝見に。
昼間を富山で、夜は金沢で過ごした。
酒を飲みながら話した中身が志力低下。
恩師は、イスラム圏に旅行に行くらしい。
その訳は、子供たちのギラギラした眼を見たいとのこと。
大人のくだらない都合に巻き込まれて、生死をかけて生きている子供たちから学びたいらしい。
我が国日本の若者たちに見られる現象は、志しの低下。
今後は職務内容を変えて、人材育成に時間をかけるらしい。
彼は今年で54歳。
まだまだ走り続けている。
ガムシャラに頑張ること。
そう、分かっていてもなかなかできない。
特に年齢を重ねると、なおのこと・・・。
一つのことに集中して、達成できるために。
そんな時に、必ず励ましてくれる人がいる。
悲しいもので、後になって気付くものでもある。
その必死さは、必ず伝達していく。
客観視している者が、そこから何かを学び、引き付けられていく。
ガムシャラに頑張る人が居る組織。
そんな組織が強い。
自分の事を、最も理解していないのは自分。
当然の話だが、当然でもない。
競技であればペアを創ることで回避できる。
しかし、いつも相手がいるとは限らない。
自分で自分を診断する方法。
競技の場合は鏡がその役を担う。
それ以外の場合は・・・。
客観的な自分を創造するか、もしくは傾聴の姿勢を保ち、アドバイスをとにかく受け入れる。
鏡を見つけることは、自分を伸ばす最善の手法なのかもしれない。
イメージは重要である。
描くことができないと、形にはならない。
そのイメージを掴むため、皆で共有するため色んな方法を試す。
それが建築の図面であっても同じである。
同様の理解を得るために、図面があり、監督を務める者が配置される。
それでもその通りにならないこともある。
「予算の組み方が甘い」
多くの場合はこれである。
そんな話が多い中、なんとなく上手く立ち回っている日々に嬉しさを感じる。
誰もが共有できること。
それは図面とか、手法でなく、そこにある理念。
行き着くところはここである。
高校時代に、「すごい投手がいるものだ」と感じた人と飲んだ。
その頃、自分は1年生だったため、あまり関心は無かったが。
時間が過ぎて、今は指導者になっていると聞いた。
皆、そういう道を与えてもらい、全うしているのか・・・。
自分に課せられた役割を恨んだことは無い。
むしろ感謝しているほうだ。
少しずつ輪が広がっていく。
これもまた、感謝すべき事柄である。
「第5腰椎分離滑り症」
診断された結果がそれであった・・・。
何気にショックな出来事。
痛み止めのブロック注射をされ、15分間じっとしていることに。
その時である。
「自分はもう野球ができないのか・・・。」
そう考えると寂しくなり、涙が溢れてきた。
「そうなるから、高校野球のコーチになったのか・・・。」
そう勝手に理解するように努め、自分を納得させる方向に。
試練と受け止めれば、そうなる。
26日にMRI診断。
その日に、その症状への取り組み方もハッキリする。
42歳、何か問題が浮上しても不思議ではない歳。
そう諦めれば片がつくかもしれない。
しかしながら、まだまだプレーしたいという葛藤が存在する。
どう受け止めていけば良いものか・・・。
勝手な思い込みで、自己の正当化を貫く人に会った。
決して良い出会いだとは感じなかったが、そんな人も居るのだと思えた。
結局は、本人が自分の中でモヤモヤしていたものをぶつけたいだけのことだと理解できた。
そこに付き合わされる方も、やりきれない気持ちになる。
その中で学ぶべきこと。
そんなものを探しながら、時間が過ぎるのを待った。
結果、自らを正当化することほど醜いことはない。
行き着いたこととは、それであった。
同じ事を全員に、同じ時に話しても、同じようには伝わらない。
当たり前のことだが、意外と認識できてない。
言ったはずの言葉を、対象者が理解できていないことはよくある。
理解の差がなく、受け入れてくれることなど不可能に近いと思えるほど。
聞き手には各々の聞き方がある。
人其々に聞き方が違うということ。
そういうものだと認識して話せば、話し方も変わる。
伝わっていると勘違いした方にも責任がある、と感じる。
勝手な思い込みということ。
無いようで意外と多い。
タイトルは忘れたが、昨夜は久しぶりに映画を観た。
映画を観たといっても、自宅でのこと。
ガンで闘病を続ける妻と、乗客列車を運転する企業に務める夫。
母1人子1人で、貧しい生活を送る家族。
その両方が交錯する。
線路で子供を道連れに自殺を図った2人の車に、列車が激突。
怒りを抑えられない子供が、闘病生活を続ける夫婦のもとに現れる。
やがて共に暮らし始め、これまでに無かった家族という感覚に包まれる。
それもつかの間、闘病を続ける妻が他界。
残された二人は新たな暮らしを始める。
その映画の中で、闘病を続ける妻が夫に言う。
「世の中は白と黒だけじゃない。グレーがたくさんある。」
夫は「確かにグレーのほうが多いけど、白と黒もある。」
規律に則り、正しいことを行うのは間違いではない。
しかし、正しい方向に導くための手法として、グレーが存在しても間違いではない。
以前の自分を見ているようだった。
懐かしの方々から電話が来た。
再会したのは12年ぶりだろうか?
14日にOPENしたお店を訪れてくれたのだ。
高校での練習を終え、23時に合流。
思い出話と共に、近況の報告。
年賀状は毎年やり取りしているが、時間を共にすることがなかなか難しい。
色んな心配をしてくれ、有難い限りである。
「今夜はまもるにあえて良かった。」の一言に胸が熱くなった。
多くの方々に支えられて生きている。
そんなことを実感した夜だった。
高校野球をしていた頃の話。
新チームとなって監督が言った。
「キャプテンをしたいものは手を上げろ」
その言葉に、迷わず手を上げた。
すると、「お前はダメだ」と・・・。
「だったら聞くなっ!」と言いたがったが、言えるわけもなく・・・。
足りなかったものは何か・・・?と悩んだものである。
その後の結果、自分でなくて良かったのかも・・・と考えていた。
高校球児を指導していて、主将の立場は大変なものだと感じる。
監督と主将の狭間で、考えるべきことは多い。
そのポジションを確立することが当面の仕事だろう。
日本列島を大型台風が襲った。
近頃は地球温暖化のせいか、大きな被害が出ることが多いような気もする。
台風が近づくと波が高くなる。
海に近いところに住んでいるので、小さい頃は面白がって見に行ったものだ。
今から思うと、随分と危ないことをしていたと思う。
砂浜には、増水した河川から流れてきたカメがたくさんいた。
今はゴミばかり。
身近なところでも随分と環境が変わったものだ・・・。
大人になって失っていくもの。
たくさんある。
では、一番に失いたくないものは何か。
それは、無垢さと素直さ。
毎夜、高校野球のコーチとしてグランドに出向くと、この両方を教えられる。
そこは、自分も汗を流した場所。
あの日のことを思い出して、失ったものを取り戻すように。
それが天からの指令なのかもしれない。
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